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色々考えたことを書いてます デレステは癒し。

【哲学もどき】意識から無意識へ

 

意識的な行動は、ある時点を境に無意識の行動へ移っていく

                       ―スタッツ― 

 

  今回は上のことについて例を挙げながら説明しようと思います。

 例題

 私たちは普段から無意識に行動をとっています。例えばまばたき。例えば呼吸。たいていの人は意識することなく出来ているはずです。しかし、そういったものでさえ―物心つく前からだと思うが―意識的に行動していた時期があるはずです。

 例えば小さいころに五十音順の書き方を学んだと思います。「あ」はこういった書き方、「い」はこう、「う」はこんな感じで…「とめ」「はね」「はらい」がどうとか言われていたと思います。

 で、最初は意識的にその文字を何回も書いて練習したと思います。でも、ある程度時間が経つと…「あいうえお」と難なく書けるようになります。意識的な行動から無意識の行動へ変化したわけです。

 また、小さいころだと自転車に乗る練習もした人は多いんじゃないでしょうか?最初のうちは補助輪付きだけど、補助輪を外した途端にバランスをとるのが難しくなって、何度もこけたりして泣いた人もいると思います。でもある時を境にうまく乗れるようになります。

 子供に「なぜ乗れるようになったのか」を聞いても、その理由を「意識的な行動から無意識の行動へ変わったから」と答える子はおそらくいないと思います。子供からすれば「練習したらいつの間にか乗れた」という感覚しかないと思います。

 視点を変える

 仮に意識から無意識へ、のくだりが本当なら、無意識にやっている行動を再び意識的に呼び覚まして、無意識の行動に移していくことも可能ではないか?と思います。

 例えば、常日頃時間を意識した生活をしている人は少ないと思います(自分も意識していない)。セネカの「生の短さについて」にこんな文言があります。

 

 

 

 年金や施物なら、人はさも大切に受け取るし、それを貰うには、みずからの労役や奉仕や勤勉を提供する。しかし時間の価値を知る者は一人もいない。まるでただのものであるかのように、湯水のごとく時間を使う。

                        ―セネカ

 

 

  実際この文言にあるように、なんとなく日々を生きている人もいると思います。言うまでもないことですが、遅かれ早かれ人はいつか死にます。今日一日を最後の日と思って、というわけではありませんが、一秒ずつ、しかし確実に死に向かっている、というのは意識しておいたほうがいいかもしれません。

 まあ流石に一秒ごとに「自分は死に向かっている」と考えるのは意識しすぎですし、これから寝ようとしているときに「一秒でも早く寝よう」と考えるのはかえって寝つきを悪くすると思うのであくまで程ほどに、ですかね。